| 2010.02.07 Sunday/00:00 |
早すぎる?死について |
今日、嫁さんの友人の弟さんのお通夜がありました。
享年36。朝、起きてこない息子の様子をお母さんが
見に行ったところ、布団の中で冷たくなっていたそうです。
その死顔は寝顔そのものだったそうです。
ご結婚をされて、数年前に家も購入し二人の小さなお子さんも
いらっしゃる、働き盛りの男性の死に触れると
どうしても「早すぎる」というマクラコトバが浮んできます。
でも、何を基準に「早すぎる」と思うのか。
「遅すぎる死」なんて無いのに……
人の死の重さは、残された人の心に生まれる想いの重さに
他ならないと僕は思います。
「まだ若いのに……」
「小さなお子さんがいるのに……」
「もっと一緒に時間を過ごしたかった……」
「何でお前が……」
人はどこまでいっても「自分以外の人の死」しか
経験することはできなくて、その他人の死に触れたとき
自分にもやがて間違いなく訪れる死を思い、恐れを抱きます。
その時人は、他人の死を「運命」とか「短かったけど
精一杯生きた」とか、なんとか「言語」にして
自分の心のある部分に収納しようとする。
そうして「納得」することで、自分の死への恐れから
何とか逃れようとする。
そんな考えが頭の中を巡りました。
「いつ死んでもいいように生きる」
そんな重労働をしていたら、それこそ死んでしまいます。
「死とは何ぞや?」
その問いに対する自分なりの答えを持つことが
本当の意味で自分の死への恐怖から逃れる術なんじゃないか。
そんな風に思います。
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